2010年3月21日日曜日

森博嗣『幻惑の死と使途』

あらすじ
「諸君が、一度でも私の名を叫べば、どんな密室からも抜け出してみせよう」―自信に満ちたせりふと共にあらゆる状況からの脱出を果たす天才奇術師・有里匠幻が、衆人環視の状況の中で殺害された。さらに、彼はなんと遺体となってまで、最後にして最大の奇跡を行う!?犀川・西之園師弟が明かす驚愕の真実。

シリーズの感想を載せていくと言ってすぐに、順番をこじらせるのはどうかと思ったんですが、読み終わってすぐに書いたものを順番の通りにしたいがために、後に持っていくのもどうかと思い、いきなり、6冊目の『幻惑の死と使途』です。

何か言い訳から始まりましたが、何なんでしょうね。この主人公たちは、マジックのトリックをさも当たり前のように見破っちゃって。こんな視点で手品を見てみたい…。
僕は、まさに浜中さんのようにマジックを見ます。そして華麗に騙されます。

犯人の動機の一部でもあり、作中の重要な概念として、「名前」というものの持つ力についての話があります。犀川先生いわく、「名刺の独立によって、動詞や形容詞は統合され、あるいは分化される。これが、組織化された言葉だ。人は、ついには、その名前のために生きることになるんだ。」だそうです。つまるところ、人間は自分の名前の力を上昇させるために、勉強したり、仕事したりといった努力をする、というわけです。なんだか政治家や有名人みたいな人にしか縁がない話のようでもありますが、確かに、友達の印象なども、基本的に名前と一緒に記憶されるわけで、つまりは人との付き合いをうまくしようというとこだけでも、「名前のために努力している」という命題に矛盾はないのかな、とも考えました。

くだらないことかもですが、ブログの運営だって、結局は名前のためにやっていることです。ネット社会である今の世の中はどんどん名前の力が増していく方向に来ているのかもしれません。

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